「優勝できなかった年」は、ただの敗北ではない
箱根駅伝において、優勝争いの結果の2位~5位という結果は一見すると「立派な成績」に映ります。
しかし、その順位が
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優勝争いに最後まで残った結果なのか
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それとも、実力差を認めた上での2位なのか
によって、チームに残す“意味”はまったく異なります。
特に重要なのが、「この年は勝てたはずだ」と多くの関係者・ファンが感じた大会でああることです。
本記事では、箱根駅伝の歴史の中から「優勝のチャンスがありながら逃した大会」を分岐点として、その後、大学がどのような道をたどったのかを横断的に整理していきます。
分析対象となる「分岐点の大会」
今回取り上げるのは、以下のような共通点を持つ大会です。
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明確なエース、または柱となる選手が存在
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戦前評価は優勝候補の一角
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往路・復路の途中まで優勝圏内
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しかし最終的に優勝を逃した
具体的には、
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第79回 山梨学院大学
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第85回 早稲田大学
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第95回 東洋大学
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第96回 東海大学
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第102回 中央大学
といったケースが該当します。
これらの大学が、その後どのような成績推移を辿ったのかを見ていきます。
パターン①「悔しさを糧に、短期間で優勝する大学」
最初のパターンは、
優勝を逃した悔しさを明確に“次へのエネルギー”へ変換できた大学である。
第85回 早稲田大学という典型例
第85回大会の早稲田大学は、2007年大阪世界陸上や2008年に北京五輪に出場した竹澤健介(現摂南大ヘッドコーチ)という強烈なエースを擁し、往路でも優勝圏内に位置していました。
しかし、5区で東洋大学の柏原竜二に小田原中継所であった5分近い差を逆転され、復路でも食らいつきながら最終的に優勝を逃してしまいました。
この大会は、早稲田にとって「勝てたはずの年」という認識が強く残った大会でした。
その後の早稲田は、
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エース育成の方向性を明確化
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山への投資を強化
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一般入学組と推薦組の融合
を進め、2年後の第87回大会で総合優勝を果たしました。
重要なのは、この優勝が「偶然」ではなく、第85回の失敗を前提に組み立てられた結果だった点です。
特に87回大会は、柏原竜二を擁するライバル東洋大学に対して、5区に佐々木寛文(現上武大コーチ)、8区に志方文典(元旭化成)を配置し、85回や86回で苦汁をなめた区間で勝負に行く布陣を考えていましたが、直前の12月になって佐々木の坐骨神経痛が悪化、志方が疲労骨折と予定していた区間配置が組めなくなりました。
しかし、早稲田陣営は、「5区で柏原に抜かれても6区で逆転して先頭に立つ」プランに組み替え、それを見事に実行してのけました。復路は壮絶な東洋大学との叩き合いでわずか21秒差での総合優勝を飾りました。
それを可能にしたのは、チームの設計でした。
1人のエースに頼ることなく全員が役割を全うすることができる状態であったため、直前にトラブルが起きても、プランを組み替えることができたのです。
実は、84回大会で往路優勝した際も、直前で竹澤が腸脛靭帯を痛めた関係で区間配置が予定と変わりましたが、かえってチームが団結する結果になりました。
早稲田大学はこの頃、チームに不測の事態が起きた場合でもプランの組み換えができる力が備わっていたことも、85回で優勝を逃しても87回で優勝できた要因と考えられます。
パターン②「優勝を逃した年がピークになってしまう大学」
次に見られるのが、
その年を境に、徐々に順位を落としていくパターンである。
第95回 東洋大学のケース
第95回大会の東洋大学は、依然として優勝候補として名前が挙がり、実際に優勝争いに加わる力を持っていました。
しかし、この大会で優勝を逃した後、チームは徐々に変化していきます。
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エース呼べる存在がいない
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山の絶対値低下
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復路での粘り不足
といった要素が積み重なり、最終的には第102回大会で21年ぶりにシード権を失ってしまう位置まで後退してしまいました。
このパターンの特徴は、「勝てなかった理由が曖昧なまま世代交代が進んだ」点にあると考えられます。
パターン③「浮き沈みを繰り返す不安定型」
三つ目は、
優勝を逃した後も上位に来るが、安定しきれない大学である。
第79回 山梨学院大学の事例
第79回の山梨学院大学も「優勝できる戦力」でした。
9区の横浜駅付近までは先頭でしたが、追ってくる駒澤大学にかわされ、惜しくも2位で終わっています。
これ以降は毎年のように上位に食い込むこともありますが、チーム状態がかみ合わずシード権争いを繰り返し、近年は低迷する形になってしまっています。
2014年の高校駅伝で付属高校の山梨学院大付のメンバーがこぞって入学後が再浮上のチャンスでしたが、ここでもチームがうまくかみ合いませんでした。
第96回 東海大学の事例
第96回の東海大学も、「優勝できる戦力」を持ちながら、その年を逃した後に浮き沈みを経験しています。
東海大学は第95回大会で優勝したメンバーが多数残り、第96回でも優勝候補筆頭に挙げられていました。
しかし、往路でなかなかかみ合わず、復路で追撃するも優勝には届きませんでした。
それ以降はシード権を失うことも増え、第101回では予選で敗退し本線に出場することもできませんでした。
浮き沈みする大学の共通点
これらの大学に共通するのは、
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特定世代への依存度が高い
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強い年と弱い年の差が大きい
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山・復路の完成度にムラがある
という点です。
優勝を逃した年の反省が、チーム全体の設計思想まで落とし込まれなかった場合、このような推移を辿りやすいと考えます。
「優勝を逃した年」に何が問われるのか
ここまでの事例から、一つの結論が導けます。
優勝を逃した年そのものよりも、その年をどう「定義」するかが重要です。
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「惜しかった」で終わるのか
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「何が足りなかったのか」を言語化できるのか
この違いが、数年後の結果を大きく左右すると考えます。
中央大学(第102回)はどのパターンに入るのか
ここで、第102回大会の中央大学を当てはめてみます。
中央大学は、
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明確なエースが存在
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優勝候補の一角
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往路・復路ともに優勝圏内
という条件をすべて満たしていました。
一方で、
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山の配置
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直前期のトラブル
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噛み合わなかった区間構成
によって、優勝を逃しています。
この状況は、第85回早稲田大学と非常に似ています。
違いがあるとすれば、それを「再現可能な失敗」として扱えるかどうかにあります。
※中央大学の優勝のために必要なものは何か?を記載している記事もあります。
興味のある方はこちらへどうぞ。
分岐点を「飛躍の起点」に変えられる大学の条件
優勝を逃した年を、次の成功につなげられる大学には共通点があります。
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失敗要因を構造で整理できる
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エース・山・復路の役割を再定義できる
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世代交代を「断絶」にしない
- エースや特定の世代に依存しない
これらを満たせたとき、「勝てなかった年」は単なる悔しさではなく、設計図になります。
結論|「勝てなかった年」は、未来を決める年である
箱根駅伝において、優勝を逃した年は、あまり語られることはありません。
しかし実際には、その年こそが大学のその後の成績を決める分岐点になっています。
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勝てなかった理由を直視できるか
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それを次の世代に引き継げるか
この問いに向き合えた大学だけが、再び頂点に立つことができると思います。
第102回大会を経験した中央大学。そして、これから優勝を狙う國學院大学。
彼らがこの分岐点をどう乗り越えるのかは、今後の箱根駅伝を占う大きな鍵となると思います。
データ・画像の引用元
本記事で使用したデータは、関東学生競技連盟の箱根駅伝公式Webサイトを使用しています。
また、記事中の写真は第102回東京箱根間往復大学駅伝競走 関連報道写真を引用しています。


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